インタビューvol.7 ユニオン 立野純三さん【前編】

Photo by Maki Hayashida

B2番出口のすぐ隣にあるドアハンドルの会社「株式会社ユニオン」さん。日常的に触れるドアノブを〈ドアハンドル〉と名付け、3000種類以上ものオリジナル製品を作り、今や国内シェア90%以上を誇る会社さんです。大阪商工会議所の副会頭も兼任されている代表取締役・立野純三(たてのじゅんぞう)さんに詳しくお話を伺いました。インタビュー前の4月にはイタリアで行われたミラノデザインウィークに参加されており、超多忙なスケジュールの中、清澄白河ガイドのために貴重なお時間を作っていただきました。気になりつつも、緊張してずっと入れなかったショールームに清澄白河ガイド、いざ潜入!(2019年5月)

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60周年を迎えてのミラノデザインウィークへのご出展、おめでとうございます。現地の雰囲気はどのようなものでしたか?

ありがとうございます。忙しくて2日間ほどしかいられませんでしたが、多くのプレス関係の方がSNSで動画を流してくれたのが大きかったと思います。6日間で3万人、1日約5千人ほどのお客様にお越しいただきました。

 

ー ウェブに上がっていた現地レポートや、SNSの動画を拝見しましたが、砂型の鋳造でできたドアハンドルを展示されてましたね。(特別サイトはこちら。)

砂は日本からの持ち込み、他の道具は現地で調達しました。本当はアルミをやりたかったのだけど、温度が高すぎてあの会場ではできませんでした。採用した錫は大体200度くらいですが、アルミの場合は800度必要とします。

会場では1日5-6回ほど砂型鋳造の実演を予定していたのですが、集まる人が多すぎて、一日20回ほど実演しました。温度だけでなく人の熱気もすごかったですね。

 

↑ミラノデザインウィークの設計プランは建築家の田根剛さんにご依頼されています。原点からスタートして、次のUNIONは60周年以降どのような将来を暗示していくのかという内容だったそうです。ミラノでのインスタレーションについての対談がこちらで公開されています。

 

本社は大阪ですよね。実は先日、南堀江にあるショールームに伺いました。自然光の入る細長い通路を抜けると、今まで見たことのない光景に圧倒されました。その先には1階から2階までそれぞれ異なる種類のドアハンドルが並んでいたからです。

スタート当初は南新地のど真ん中に会社があって、蝶番やレールも扱っていました。その周りで飲食店がオープンするときに、ドアハンドルも作らせてもらうことがありました。そのドアハンドルを店頭にも置かせてもらって、お客さんから声をかけてもらって、ご注文いただいて、また生まれたドアハンドルを店頭に置いて、の繰り返しで今に至ります。

当時は引き戸が多い時代、洋風の流れが入った頃合いにドアハンドルに特化しました。

他のメーカーさんでもドアハンドルをやっていたけれども、彼らは片手間でやっていたんですね。そこを弱点とみて、我々は既製品を作り、在庫をもち、どのニーズの方からでも選べるように種類も増やしていきました。

その後、東京オリンピック、万博があり、それに乗っかっていきました。パビリオン全てにUNIONのドアハンドルを使用してもらったのです。万博に付随しているホテルや、建物に使ってもらったのも大きな飛躍でした。設計者から建物に合ったドアハンドルを作りたいというご要望をいただけたのは我々の大きな信頼でもあります。

 

それは設計者の方のデザインを形にするようなものだったのですか。

一緒にデザインを起こしていましたね。打ち合わせして設計者の意向を聞きながら、材質などを提案していました。

当時は特注オーダーが多く、その数が6割を占めていました。今はほとんどありませんね。3000種類の中から選ばれることがほとんどです。まあ、予算が少ないですしね。(笑

バブルの時はびっくりするほどの予算がついていました。でも、だからこそ技術が上がりますね。無理難題を聞くことは大事なことだと思います。今はそのやりとりが減ってきているから技術が継承されないと考えています。

我々が設計事務所に行くときは、一箇所でもいいから凝ったものをやらせてもらいたいと言います。そうでないと、将来面白い建物がなくなってしまうし、面白い商品も無くなってしまう。

アメリカでも1920年代くらいにマンハッタンで超高層ビルが立って、ドアハンドルでも素晴らしいものを使っていましたが、今行くと味気ない建物が並んでいて、よく見かけるような既製品がついていて。日本もいつかはそうなってしまうのではと心配になってしまいますね。

Photo by Maki Hayashida

 

日本では古い建物が伝統や技術を持って残っていても、住む人がいなくなって、空き家になって、壊されて、新しく作っていくという風潮がありますね。

京都では町屋があって、それを利用して町を再生をしているけども。海外なんかもそうやってますね。それぞれの町に特徴があればいいですけどね。

スペインに行ったんですね。そこにはイタリアの建築家ガウディの建築があって、その建築を見に世界から年間8200万人が訪れるわけです。そのうちの何人が建築家なのかは分かりませんが、新国立競技場もね、隈さんと今一緒に素晴らしいお仕事やらせていただいてますが、僕は当初ザハのデザインでやってもよかったのではないかと思いますね。遺作になるし、100年放っておいても人が見にくる。もちろんお金は倍かかるけど。(笑

みなさん、彼女の建築を見に韓国にある東大門を見にいくんですよね。やっぱりそこが建築の面白さでもあり、我々は良い仕事に携わっているなあと思うところでもあります。

 

ドアハンドルに着目して日常を過ごしていると、町には一つとして同じドアハンドルはないのだなと気づかされました。南堀江にあるショールームに伺って一番興味を引かれたのは、非常用のドアハンドルでした。お年寄りの方、障害者の方、子供を抱っこしているお母さんや、背の低い子供でも、楽に開けられるもの。手ではなく、体で開けるという着眼点に驚きました。

あれは元はアメリカ・ヨーロッパから来ています。火事が起こり、出口で重なって亡くなるケースが多かった。体をぶつけて開けられるので、人が集まる場所、空港や学校、映画館などでは取り付けが条例で決まっています。

パニックハンドルと我々は呼んでいるのですが、日本人は割とデザインを重視するので、ドアいっぱいにハンドルがあると格好悪いと思われがちです。プラスチックのケースが被されていて、何か非常事態の時はケースを外して使ってくれ、というものがありますが、実際に起こったら煙とかがあって、冷静になって開けるだなんて無理だと思います。

日本はまだ浸透していないので、例えば洪水の時なんかは、自動ドアは開かないですよ。もしこのような商品があれば救える命があるかもしれないですよね。

Photo by Maki Hayashida

 

パニックハンドル「ost ARK オストアーク」の検証実験の様子。災害時にどんな人でも開けられるように設計されており、微力でも開けることができます。ショールームで実際に触れることができるので、ぜひ体験してみてください。

 

ショールームにはアンティーク調の細かい装飾のドアハンドルもありました。先ほど特注のドアハンドルは減っているとおっしゃっていましたが、0ではないということですよね。どんな方が頼まれるのですか?

こだわりのある、アトリエ系の設計者の方が多いです。隈さんとも何かやってみようと話していたり、安藤忠雄さんとも一緒に作ったこともありました。エルメスやヴィトンのように、こだわりのある店はドアハンドルのデザインからオーダーを受けています。

でも、やはり特注オーダーものは今はほとんど注文がこないですね。既製品の質がよくなってきているのもあるのかもしれません。昔は建物も家具もそうですし、部品もそうですが、自分たちのこだわりで描くものが多かったです。それに沿って設計していたときは、出来上がるときに家具や装飾品も一緒に選ばれる、ということもありましたが、今は役割が分かれてしまってますね。だから空間自体に一体感がないようにも思います。これはここ数年の風潮です。

また、鋳物の仕事は減っています。職人の技術継承問題の話にも繋がりますが、大阪市内では継ぐ人がいなくて、廃業されるケースが多いですね。だって、若い人にとってはしんどい時代ですし、サラリーマンしている方が生活に何不自由ありません。(笑

私は、職人さんがメーカーと対等であるべきだと思うんです。いつまでも下請けのままだと、誰もその職業に就こうとはしないでしょう?もしかしたら、そのうち外国人の職人さんが増えていくかもしれませんね。いざ日本で何か面白いことをしようとしたときに、それを支える技術が無くなってしまうのではないですかね。

昔はJALのように企業のマークをそのままドアハンドルにしたことがありました。そんな仕事をまたやっていきたいですよね。

 

UNIONさんはユニオン造形文化財団も設立なさっていたり、JUNZO TALKでは、立野さん自ら若手建築家たちとの対談をされていたりと、これからの建築業界を担う若手を積極的に支援されていますね。

今の若手建築家は海外で活躍されるかたが多いでしょう?日本だけでは食っていけない。田根さんも海外からのお仕事が半数以上と伺ってます。これからの若手は外へ出ていくための何かがないとダメでしょうということで、財団はそのお手伝いをさせてもらっています。財団では2つの事業をしていて、1つ目のデザイン賞は建築家の方にテーマを出題をしてもらって、公募をします。そこから先生たちが優秀賞から佳作まで選ばれていきます。あと一つは助成金といって、海外や国内での交流をしたい、研究をしたいという人たちのための制度です。それらをきっかけにご活躍された方たちが、後々お会いして声をかけてくれることが増えてきましたね。25年続けて、ようやく彼らの経歴にかけるほどの登竜門のような存在になりました。

 

若手の活躍の場を支えている会社があるということは建築業界にとっても大きな力になっていると思います。UNIONさんは昨年の冬で60周年を迎えられましたが、長く続けていく中でドアハンドル以外のものに転向することはなかったのですか?

もちろん他にも色々やりましたが、ドアハンドルというのは我々の一番のコアですね。常に進化を心がけています。ずっと同じものではなくて、デザインも変化してますし。環境に優しいものをとなると、材質を見直すところから進めます。例えば饅頭でもその時代にあった中身に変えて、外の形が残り続けているように、変わらない部分と時代に合わせて変えていくべきところを見極めて常に進化をしています。ミラノでの展示もそうですが、世界のドアハンドルとして継続したいですね。

世界でもこれだけドアハンドルに特化した会社はありません。感心してくれるわりには、なかなか買ってくれませんけどね。(笑

今は海外の建物には中国の製品が付いてますよ。安いですから。我々の製品もすぐに真似されます、中国で展示会しても、半年後にはすぐに同じようなものが市場に並んでいます。

 

どのように対抗しているのでしょう?

パテント(特許、意匠)を持っているので、日本に来るのは拒めるんですよ。でも海外には規制がないから取り合わない。社員には真似するようになったら終わりだと言っています。されるうちはいいけど、逆になったらドアハンドルだけでは飯食っていけませんから。だから必ずデザイン、材質と新しいものを出し続けています。

ドアハンドル以外にも、消火器ケースやナビラインなども製品として扱っている。どれもスタイリッシュで、建築空間に馴染む設計になっています。

 

大きな飛躍となった東京オリンピック(1964年)、日本万国博覧会(1970年)がありましたが、もう間も無く2020年の東京オリンピック、2025年の大阪万博を目の前に、60周年を迎えた後の2度目の契機を迎えようとしています。どのような展望をお持ちでしょうか?

やはり従来のままではダメですよね。次の未来に向けるような、我々のドアハンドルと最先端の技術の融合をやっていこうと、社員に発破をかけています。そして万博の時はパビリオンに参加したいですね。

健康、安全、環境というと、万博のテーマでもありますが、次の世紀を見据えたものが展示されるといいですね。また、2024年には、多分大阪にIR(統合型リゾート)がオープンします。それに我々も参加したいと思います。ひょっとしたらドアハンドルじゃなくて違うこと始めているかもしれませんね。(笑

立野さんご自身でデザインされたドアハンドルもショールームで触れることができます。

Photo by Maki Hayashida
ドアハンドル一つ一つに丁寧な説明をしてくださり、ものづくりに対する愛情を感じました。

 

ということで、まずはユニオンさんの事業やこれまでの取り組みについて語っていただきましたが、前編はここで終了です。清澄白河にショールームを構えたお話やまちづくりについては後編で!

 

株式会社ユニオン
東京支店/アトリエユニオン
東京都江東区白河
2-9-5
<Website>
https://www.artunion.co.jp/index.html

 

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撮影:林田真季 Maki Hayashida
兵庫県出身、2011年より清澄白河に住む写真家。日本の里山風景を伝えるべく、制作活動を行っている。東京はあんまり好きじゃないけど、清澄白河は好き。
makihayashida.com
https://www.facebook.com/maki.hayashida.

インタビュー・文責:小池莉加 Rika Koike
台湾料理屋でバイトをしながら、東京都現代美術館の図書室と深川図書館に通いつめる学生時代を過ごす。場所と人の関係性についてゆるーく考えながら生活中。アトリエタキグチの記録係。
https://www.song-123.com
https://www.instagram.com/atelier_takiguchi/
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